ただメタボ対策のためでなく-自転車で銭湯めぐり
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2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した時刻である。このとき、わたしは自宅で仕事をしていた。この日の朝の時点では、昼過ぎまでに仕事を終えて1か月ぶりの銭湯めぐりに出かけるつもりだったのだが、思っていたより手間どってしまって外出を取り止めたのだ。しかしこの時刻以降、仕事はまったく手に付かなかった。
地震・津波の被害やその後のさまざまな混乱(帰宅困難、電車の不通や本数削減、原発事故と風評被害、ガソリン、食料、その他さまざまな物資の不足、計画停電、etc.)についてはご存知と思うが、とりわけテレビが連日映し出している被災地の映像は、わたしに精神的な衝撃を与えるには十分なものであった。
大地震発生からひと月半、世の中の自粛ムードに影響されたことと異例の花粉飛散量のため、銭湯めぐりどころか自転車にも乗らなくなってしまっていたが、ようやく再開する気力が出てきた。
何事も無かったかのように第3ステージへ進むのはあまりに気が引けたので、再開への踏み石的なものをここに書いた。ひっそりとやっているブログとはいえ、お見舞いを申し上げるのが大人の対応というものだろうが、文字にした途端に自分の中で一段落つけたような気になってしまいそうで何も書けなかった。しかしどこかの時点で一段落つけなければ先に進めないのも本当だろう。わたしにできることは少ないが、被災地の一日も早い復興を願うとともに、「この災害を他人事にしない」という気持ちを持ち続けていこうと思う。
地震・津波の被害やその後のさまざまな混乱(帰宅困難、電車の不通や本数削減、原発事故と風評被害、ガソリン、食料、その他さまざまな物資の不足、計画停電、etc.)についてはご存知と思うが、とりわけテレビが連日映し出している被災地の映像は、わたしに精神的な衝撃を与えるには十分なものであった。
大地震発生からひと月半、世の中の自粛ムードに影響されたことと異例の花粉飛散量のため、銭湯めぐりどころか自転車にも乗らなくなってしまっていたが、ようやく再開する気力が出てきた。
何事も無かったかのように第3ステージへ進むのはあまりに気が引けたので、再開への踏み石的なものをここに書いた。ひっそりとやっているブログとはいえ、お見舞いを申し上げるのが大人の対応というものだろうが、文字にした途端に自分の中で一段落つけたような気になってしまいそうで何も書けなかった。しかしどこかの時点で一段落つけなければ先に進めないのも本当だろう。わたしにできることは少ないが、被災地の一日も早い復興を願うとともに、「この災害を他人事にしない」という気持ちを持ち続けていこうと思う。
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